冨岡剛──“何度でも、ゼロから始める”その覚悟と行動力

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「失うことは、怖くない。止まることが怖いだけ」

ラグビーの世界で伝説を残し、ビジネスで頂点に立ち、AIの未来にも踏み込んだ冨岡剛さん。


その歩みの裏には、何度も“ゼロからやり直す”という覚悟と実行力があった。


冨岡さんのすごさは、決して最初から成功していたわけではない。


むしろ、「失ってからどう立ち上がるか」にすべてが詰まっている。


家業の倒産、夜逃げ。すべてが“ゼロ”になった日

大学生のとき、父親の会社が倒産。


朝、家族から「1週間だけこの家を出よう」と言われ、そこから“夜逃げ”が始まった。


資産も信用も消え、自分だけが残された。


「これからは、誰も助けてくれない」


そう冨岡さんは自覚し、「自分の人生は自分で作る」と覚悟を決めた。


ラグビーで得た“這い上がる力”

ラグビーという競技は、ボールを持って前に進もうとする選手を、何人もの相手が止めに来る。


でも、何度でも立ち上がる。その繰り返しが勝利をつくる。


冨岡さんは言う。


「ラグビーをやっていたから、夜逃げしても平気だった。何度倒れても、また走ればいいだけだから」


ビジネスの世界へ、地図もないまま踏み出した

大学卒業後、現役を引退し、ラグビー指導者として活躍したあと、冨岡さんが飛び込んだのは“アフィリエイト”の世界。


当時はまだネットビジネスが怪しまれていた時代。


誰にも頼らず、学びながら、毎日淡々と作業を続けた。


最初の報酬は、なんと“19円”。


それでも冨岡さんは、「0から1になったことが嬉しかった」と語る。


やめずに続けた結果が、20年続く年収2億円

そこから20年以上。


一貫して、コツコツ続けてきた。


アフィリエイトといっても、内容は地味な作業の繰り返し。


広告を貼り、文章を書き、クリック率を分析し、修正し、また書く。


その努力の積み重ねが、年収2億円という“地味すぎる成功”を生んだ。


「今の自分を捨てる勇気があれば、何度でも始められる」

撮影:1995年1月3日<全国社会人ラグビー選手権>準決勝、神戸製鋼対三洋電機戦でトライを決めた神戸製鋼・冨岡剛(中央)。スポニチ東京写真部。@秩父宮ラグビー場

冨岡さんは、人生で何度も“それまでの自分”を捨ててきた。


野球少年からラグビー選手へ。


伝説のラガーマンから、指導者へ。


アスリートから、ビジネスマンへ。


すべての転換に共通していたのは、「やってみる」勇気だった。


成金という言葉を、誇りに変えた

富岡剛  前半32分、左オープンに展開した神鋼は左ウイングの富岡が東芝・黒田のタックルを振り切りトライ。撮影日:1993年01月10日。

YouTubeチャンネル『成金上等』では、自ら“成金”と名乗っている。


でもそれは、「努力で稼いだ証明」だからこそ言える言葉。


「自分を変え続けてきた結果が、今のキング冨岡」


“見せびらかす”のではなく、“証明する”。


そのスタンスに、多くの共感が集まっている。


AIアバターという“ゼロからの世界”にまた挑んでいる

現在、冨岡さんはAIアバター株式会社でマーケティング責任者を務めている。


AIとの対話、感情の理解、個性あるアバターの設計……すべてが新しい世界。


でも冨岡さんは、この未知の領域にも“ゼロから”飛び込んだ。


「わからないことは、やって覚えればいい」


この考え方は、ラグビーで最初にタックルをくらった日から、何も変わっていない。


まとめ:“ゼロから始める力”こそ、最強の武器

撮影:1997年12月28日 <第50回全国社会人ラグビー準決勝>神戸製鋼対三洋電機戦で相手をかわす神戸製鋼・冨岡剛(左)。@秩父宮ラグビー場。スポニチ東京写真部。

冨岡剛さんは、常にゼロから立ち上がってきた人。


それは簡単ではないけれど、やると決めて、続けることで、必ず結果につながる。


「今の自分に満足していないなら、一度ゼロに戻ってみるのもいいかもしれない」


そんな背中を、今日も見せ続けてくれている。

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